今までの仕事 その2
この時には第2フェーズとしてLANだけではなく、
その上で動く(付加価値を与えた)グループウェアを担当。
グループウェアって何?というかたのために、簡単にいいますと、グループで使うツール(LAN前提)です。 具体的には電子メール(インターネット連携含む)、掲示板、文書管理といったコミュニケーションをとるためのツールです。
当時、そんなもん 大手銀行や製造業には ほとんど導入されていませんでした。ましてや流通業や公共団体なんかは全然でした。
今やメールや文書管理システムなど 入っていて当然 というところが多いですが そのころは、大手が検討真っ只中 だったのです。
そのころの忙しさはご想像通り、 かなり過酷なものとなりました。
毎日残業との戦い、製品自身も、日進月歩の技術を取り込む過程だったため バグやバージョンアップの繰り返しでした。
意味不明のトラブルなんか しょちゅうでした。
UNIXやPCサーバーだけでなく、端末のPCもまだ
NEC製PC9801やOADG対応のDOS/V PCが存在した時代でした。
このMS-DOS経由の半端Windowsのおかげで、コンベンショナルメモリを切り詰めて 動かす なんてのも日常茶飯事。
こうして現在の第6フェーズ(かなり高度)ぐらいまで、こういった状況は続きました。
今思い返せば よく今まで走り続けたなぁ という感じです。
はい?なんで会社を辞めたかって?やっぱり知りたいですか?
確かにそうです。素人の私が、いきなり新しいことやっても「実力はないに決まってる。」
「無理だ。」「3日で死ぬ」と思われるのは当然覚悟しております。
実は、平成9年11月末から個人HPを立ち上げ、ビデオ編集での実験実績はかなり積んでいるのです。
でもそれは趣味のレベルです。それでも当初はまだ、珍しかったPCでのビデオ編集のおかげでYahooにも一回で登録されました。このあたりの事情は、個人HPのWhat's
Newをご覧頂いても結構です。確か情報が残っているはずです。
HPを公開し、雑誌記事掲載依頼など企業からの依頼が来るたびに、恐ろしい営業ツールであるということを実感。それに味をしめ、より深く動画を勉強。FlashやHPにもそれは波及していった。それで得た技術はすばらしいものなのに、仕事では全く使われない。数年後ようやく、認知されるという大きなギャップを実感。
となると、数年後には、 CMや映画だけでなく、企業でも一般に動画があたりまえのように使われると直感。今やらねば先を越される恐怖感から2002年7月末、10年間のサラリーマン生活を 自ら終える。直後、偶然知り合った会社からのビジュアルなプレゼンテーションツール製作や、友人の結婚式2次会の動画作りなどを経験させてもらい、自信をつけ、今に至る。
事例集にあるものはすべて、そのころからの技術の蓄積です。
もちろんSEとして、仕事の量は段々増えてきており、まだまだ仕事はたっぷりあったのですが
- どこまで自身でできるかというチャレンジ意欲が沸いたから
- 休日出勤や日々の残業時間が多く、健康面・精神面将来に
不安を感じたから
- 本当にやりたいことが見つかったから(天職?)
- 大きい仕事は可能だが、やって当たり前の感がある。
- 会社(組織)でやっていても、責任面で差がないと感じたから
- 薄く広くが多くなり、深く入っていけなくなったから
- どんだけ努力しても給料への反映度が少ないから(笑)
以降、貧乏 爆進中...(笑)
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